人生をあきらめた私が、
実験者になるまで。
お母さんを助けたくて。
それだけが、すべてだった。
毎週末、駅に立って署名を集めた。子どもの声に、大人たちは足を止めてくれた。
だけど、署名用紙に書かれていたのは、お母さんを治す方法ではなかった。医療機器の普及と、その病気の医療費の無償化運動。6歳の私には、わからなかった。ただそれをすれば、お母さんが治るんだと信じていた。
会場の空気が、変わった気がした。
治るには、腎臓移植しかない。
治ると思っていた。ずっと、そう信じていたのに。
帰り道、静かに決めた。大人になったら、お母さんに腎臓をあげる、と。
16歳になった時、母は言った。
「腎臓は、いらない」と。
母の声は穏やかで、だからこそ深く刺さった。
8年間、胸の奥で守り続けてきたものが、その一言で音もなく崩れた。その傷を誰にも見せないまま、私はゆっくりと大人になっていった。
10年後、息子という命を授かって、初めて知った。
母が「腎臓はいらない」と言ったのは——愛だった。
息子が生まれた。
同じ年、離婚した。
喜びと痛みが、同時にやってきた年だった。
敬老の日に赤いバラを贈る習慣を、日本全国に広めたいと、活動していた。
その母が逝ったのは、奇しくも——敬老の日だった。
準備に動いているその日、知らせを受け、新幹線に飛び乗った。
間に合った。
奇跡のようなことが起こった。
母が選んだかのように、葬儀もまた、静かに営まれた。
そして——式が終わると、雨が上がり、空に、虹が出た。
これは母からのメッセージだと思い、その後10年以上、活動を続けた。
母を看取った翌年、妹に癌が見つかった。
妹も、失った。
2年の間に、2人を失った。
からだは正直だった。鬱、パニック障害、アトピー、メニエール病——悲しみは形を変えて、次々と現れた。
そんな私を変えたのは、ある人からの情報だった。
思いがけない出会いに素直に行動したら、からだの奥が初めて応えた気がした。
水素吸引を始めたら、驚くほど体調が良くなった。
素直にSNSで発信したら、反響は予想をはるかに超えた。
けれど、水素で良くなる人ばかりではなかった。
なぜ——?
医師や専門家と共に調べていくにつれ、
専門家でもわからないことだらけだとわかった。
100人いれば、100人違う。
これが、からだ実験室が生まれた物語。
9 Years of Experiments
| 70名 | 水素実験 | 血流センサーで血管が育つ経過観察 |
| 70名 | 瞑想実験 | 1年半の瞑想実験の中で、自己実現を体験 |
| 140名 | 幹細胞まつ毛モニター | まゆげの成長観察 |
| 60名 | NMN美容液モニター | 肌チェック機器を使用して検証 |
| 30名 | 波動研究 | 調整を行い悩み改善を検証 |
| 30名 | 幹細胞フェムケアモニター | 血液検査を行い、使用可能なメンバーで検証 |
| 30名 | 医師による勉強会 | 血液検査を読み解き、波動医療・再生医療 |
| 他多数 | さまざまな実験 | 消費者視点での商品開発サポート |
10年間の実験が、教えてくれた。
常識という思いこみが変われば、からだは必ず応える。
常識を疑いこの場所をつくった私が、一番良くなった。
だから今度は、目の前の人たちのためにもっと大きな実験場をつくる。
2026年5月、クリニックの副院長を辞め、からだ実験室に専念することを決めた。
もっと私らしく生きること。
若い世代が、誰にも言えなかった悩みを、ここでなら言える——
そんな場所をつくること。
その想いをまっすぐに携えて——
からだ実験室を、あらたに始める。
大人が本氣で自分を愛したら、
こどもたちの未来は変わる。
1日約1.4人、1週間に約10人
出典:kidsdoor.net / ユニセフ Report Card 16(2020)/ World Happiness Report 2024
Background — Top 3
子どもの自殺——その背景にあるもの
1位・2位は、家庭。
大人が変わることが、こどもを救う。
あなたがここで実験し、変わっていくこと。
それがそのまま、次の世代への贈りものになる。
からだ実験室への参加費の一部は、こどもと若い世代への無料相談活動に使います。
公式LINEで相談する(無料)